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カテゴリ:泣ける 3月 14th, 2010 admin 評価:

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241 : 癒されたい名無しさん 投稿日: 2010/02/22(月) 00:39:30
高校生の駄文ですみません。
私が中3になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。
当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なんだろうか、
お金は大丈夫なんだろうかとかそんなことしか考えていませんでした。
5月、母は病院に入院しました。
たまに家にも帰ってきていたので、治るものだと思っていました。
そして夏が終わり、私は部活でやっていた水泳を引退しました。
部活がなくなったので当然時間も増えました。
それからほぼ毎日父に連れられてお見舞いにも行きましたが、
早く帰りたい、勉強させろとばかり思っていました。
それから2ヶ月、入院してから半年で母は他界しました。
末期で手術を受ける体力もなかったそうです。
すぐそばで看取る事ができました。
その時は泣きましたが、ああ、こんなものかと思った自分がいました。
人が死ぬというのはなんて呆気ないものなのだろうと。
その後、元通りとは行かないものの、父と親族の支えでなんとか
生活のリズムも取り戻して無事に目標としていた高校に入学することができました。
しかし県内でも割と進学校の部類だったので、すぐに落ちこぼれてしまいました。
中学では東北大会まで出場した水泳も受験休みでのスランプから抜け出せずにいました。
そして先日学年末のテストが終わり、家でPCをいじっていて、
ふと昔使っていたフリーメールの受信ボックスにログインしてみようと思ったんです。
面白いスパムでも無いかと思って開いてみたら、案の定何百通というスパムメールが届いていました。
その中に見覚えのある母のメールアドレスがありました。
スパムメールにまぎれて何通も何通も。
開いてみると誕生日おめでとうとか、東北大会出場おめでとうと言ってくれているのもあれば、
ちゃんとご飯食べた?とか、父のことを手伝ってあげてねとかそんな内容のが何通もきていました。
泣きました。
泣いて、そして後悔しました。
なんで新しいメールアドレスを教えなかったのかと。
ありがとうって言えない。
母がいないっていうことと、母が死んだっていうことがイコールになったのはその時なんだと思います。
返信が一年以上も遅れてごめんなさい。
ありがとう。大好きです。
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カテゴリ:泣ける 2月 5th, 2010 admin 評価:

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663 名前:おさかなくわえた名無しさん投稿日:2010/01/29(金) 10:46:23
和んだというか感謝した話。
中1の時、親の転勤でいきなりアメリカの学校に通う事になってしまった。
中1で田舎の中学でやってた英語なんで「Hello,this is pen」のレベル。
ひたすら「This is ○○」のレベル。
コミュ力はある方だと思っていたが完全にお手上げ。日本人なんて学校で自分一人。
ESLという英語が第一言語じゃない生徒の為のクラスへ入れられたんだけど、
クラスのほとんどはヒスパニック。先生も授業中はほとんどスパニッシュ。アウェー感はんぱない。ここでも友達作りに失敗。
ほかの授業も、周りは発言をどんどんして、グループワークをするっていうのに、ただ黙って小さくなってノートをとり続ける自分。ぼっちパネェ
元々が友達が多かっただけに、孤独に耐えられずに学校で腹痛を起こすこともしばしば。
そんな自分を見つけてくれたのは、サンタクロースだった。
酔っ払ったサンタクロースを想像してくれたら良い。
赤ら顔で顔中が真っ白な髭の先生。流石にサンタクロースほど髭は長くないんだけど、ビジュアル的にはそんな感じ。
太った大きな赤ら顔のおじいさんで、いつも笑ってて、いつもジョークを言う先生だった。
学校の隅で一人で弁当を食べてたある昼休み、サンタクロースがいきなりやってきて、「コニチワ」と挨拶してくれた。
びっくりしてると、「コニチワ、ワタシは○○デス。アメリカ人デス。どうぞヨロシク」と拙い日本語で挨拶してくれた。
ただびっくりした。
人気者のサンタクロースは、自分には遠くて眩しい先生だったのに、今、目の前でたどたどしく挨拶してくれた。
私も、ぼっちの寂しさで色々切羽詰ってたんだろう、驚く先生放置でぶわあああと涙流して号泣。
おどおどするサンタクロースは、私の頭を撫でたり、抱き締めたり、擦ったり、あわあわと動揺。
なんとか思い出した英語で「Thank you, Im so glad」と繰り返してた。
それから、お昼休みはサンタクロースのオフィスに行くのが習慣になった。(オフィスは個人部屋。職員室がない)
オフィスでサンタクロースは、よくホットチョコレートを出してくれた。
そして言語力が必要になる歴史にさっぱりついていけていなかった自分に補習もしてくれた。
ちょくちょく「ダイトウリョ」「ミンシュシュギ」とか日本語を挟んでくれる優しさが、また嬉しかった。
多分、事前に私が詰まりそうな単語を調べていてくれたんだと思う。歴史以外の教科でも、いつでも快く助けてくれた。
そして授業中のジョークに日本のことを色々取り入れてくれるようになった。
サンタ「NYはしょっちゅうキングコングに攻撃されてるけれど、しょっちゅうUMAに攻撃されてる国があるんだよー。どこか分かる?」
生徒「は?えーっと、・・・・やっぱりNY?」
サンタ「ちがうよ、JAPANだよ、TOKYOだよ!ゴジラだよ!」って具合に。
丁寧にゴジラの写真までプリントアウトしてきてくれたり、授業中に歴史DVDをみる時、ゴジラのPVをみせてくれたり。
そうやって日本のことを色々と話題提供してくれたお陰で、クラスのみんなが私に親しみを覚えてくれて、仲間に入れてくれるようになった。
サンタ「Helloは日本語でコニチワだよ、じゃ、○○(私)に言ってみよう、せーのっ」
生徒「コニチワー!」とか。だからみんなが私をみつけると「コニチワ(・∀・)」って声を掛けてくれるようになった。
だんだん、歴史のクラスに受け入れられていくのが分かった。そしてそのクラスメイトからの紹介でどんどん友達ができるようになった。
そして一緒にランチを過ごす友達が沢山できて、やがてサンタクロースのオフィスから足の遠のいていった私を、
サンタクロースは「ヨカッタネェ、ヨカッタネェ」って喜んでくれた。
そして卒業セレモニーで、“一番頑張った生徒”に選ばれて表彰される事になって、全シニアと保護者の前で短いスピーチをする事になった。
そんな所だったんだけど、スピーチではもちろんサンタクロースの事を話した。
自分がどれだけ不安だったか。どれだけさみしかったか。どれだけ嬉しかったか。どれだけ救われたか。どれだけ感謝しているか。
サンタクロースには感謝してもしきれないし、受け入れてくれていったクラスメイトも大好きだということをスピーチした。
サンタクロースと歴史クラスの仲間達が泣いてた。自分も泣いてた。
アメリカの卒業式は沈黙で厳かで涙で・・・ってのじゃなくて、歓声あげて、バルーン持込で「WE LOVE MY ○○」とかいっぱいプレート持ってくるような派手なのに、
自分のスピーチですすり泣く人が出て、自分も写真撮られているのにずるずる汚い顔で涙や鼻水たらしながらスピーチした。
スピーチが終わると、サンタクロースが駆け寄ってきて、抱き締めてくれた。
サンタクロースにも一言どうぞって事で、サンタクロースが私の話をしてくれた。
最初、いきなり自分のクラスに英語の話せない生徒が入ってきてどうしよかと思ったとか。
どうやって授業をしていけばいいのか不安だったこと。
本当は中国人かと思ってたこと。一人ぼっちの私をとても心配していたこと。仲良くなりたかったこと。
友達ができていくのをみる事ができて、本当に嬉しかったこと。
私は、サンタクロースの、あの大きな腕や胸や抱き締められたときに胸にぶつかってくるようなお腹の大きさと暖かさを絶対に忘れないと思った。
そして彼がいたから、今はアメリカの大学にも進学できた。本当に感謝している。
感謝なんて二文字じゃ伝えられないくらい感謝している。
サンタクロースは何も言わなかったけれど、ネットで日本のことを色々調べてくれた事も、
心配してくれていたことも、一人の生徒としてとても愛してくれたことも、
私に素晴らしい青春をくれたことも、全部全部忘れない。
今でも、サンタクロースは、私のカミサマです。
長文しつれいしました。
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カテゴリ:泣ける 1月 26th, 2010 admin 評価:

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267 :名無しさん@HOME:2009/11/13(金) 10:22:29 0
うちのかーちゃんは15歳で私を産んだ。ちなみに弟は14歳年下。
とーちゃんとは結婚できる年齢を待ってから何とか結婚した。
自分が若すぎるせいで子供まで白い目で見られるのが嫌で、
育児が楽になってから勉強して大学へ行った。
私も普通以上の環境を与えてもらって、
勉強もかーちゃんが一生懸命見てくれたおかげで、成績は良かった。
かーちゃんは今は医師として元気に働いてる。
とーちゃんも自営業を楽しくやっている。弟は可愛い。
前に恋人にかーちゃんと15しか離れてないと言ったら、動揺していた。
そりゃそうだ。
初めて両親と会わせて、実家に一泊して行った後、
見送った駅の改札で恋人に頭を下げられた。
「15で子供を産むってとんでもない親なんじゃないかとずっと思ってた。
でも間違ってた。本当に失礼な思い違いをした。」
家に帰って思い切ってその話をかーちゃんにしたら、
かーちゃんも私に泣きながら謝った。
「辛い思いをさせたこともきっとあったよね。本当にごめんなさい。
でもお母さん、あなた達を産んで良かったと思ってる。」
私も号泣。
今まで自分のかーちゃんやとーちゃんより優しくて厳しい人なんていなかったから。
両親が若すぎることに関して尋ねたことはなかったけど、
かーちゃん達が一番気にしてたんだよね。
遊びたい時期もあったろうに、
自分のすべてを犠牲にして一生懸命私を育ててくれた両親を、
本当に尊敬してるし感謝してる。
もうすぐ私は件の恋人と結婚します。
かーちゃん達が結婚した年齢よりだいぶ年上だけど、
不安と期待でいっぱいです。
本当にちゃんとやっていけるんだろうかとか、
子供が産まれたらちゃんと育てられるのかとか。
でも相手も良い人だし、2人で頑張ってやっていこうと思います。
とーちゃん、かーちゃん、ありがとう。
でも、これからもまだまだあなた達の子供でいさせて下さい。
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カテゴリ:泣ける 1月 25th, 2010 admin 評価:

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29 名前:1/2 投稿日:2009/09/10(木) 20:25:39
近しい人達の死や、色々なことが短期間に重なって、嫁から表情や感情が消えた。
家事は完璧だけど、笑わないし泣きもしない。
話しかけても、ポツリポツリと返すだけ。
元々顔立ちの整ってた嫁だけど、よく研がれた刃物みたいな綺麗さに変わってた。
そんな嫁に、毎日毎日いっぱい話しかけた。朝も夜も。
だけど、テレビ見てもDVD見ても俺が料理しても無反応。本当人形みたい。
先日、仕事から帰って落ち着いてから、また嫁に話しかけてた。
でもやっぱり無表情で、なのにまっすぐに見つめてきて。
なんか急に悲しくなって、泣くの禁止してたのに嫁の前で泣いてしまった。
言葉も途切れ途切れになって泣いてる俺を、嫁はじっと見てた。
で、そのまま、スッと立っておそらく寝室に行った。
無表情になる前の嫁とのあまりの違いにまた泣けて、結局その日はソファーで寝た。
次の日仕事から帰っても、嫁はやっぱり無表情のままだった。
風呂入ってご飯食べて、テレビつけようとしたけどリモコンなくて、
嫁に聞いたらまた俺をじっと見てきた。
そして本当久々に嫁から口を開いた。
30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/09/10(木) 20:45:45
嫁「テレビ、見ないで。」
どうしたんだと思って嫁を見てたら、さらに嫁が喋った。
「いつも、ごめんなさい。
聞こえてる、ありがとう。
声が、安心、する。
なのに、返せなく、ごめんなさい。
ありがとう。もう、苦しませない。」
変わらず嫁は無表情なんだけど、鼻の頭を真っ赤にしてポロポロ泣いてて。
どういったらいいかわからないけど、気持ちがすごく溢れた。
抱き締めた嫁体はすごく細くて、もう折っちゃいそうなくらいで泣けたよ。
それから嫁は、ちょっとずつ回復してきて、今はぎこちなくだけど少し笑う。
ずっと、嫁は無表情なだけだと思ってたけど、嫁はちゃんと表情だしてたよ。
テレビをみないで嫁をじっくり見るようになってからやっと気付いた。
目元だとか口元だとかに、ごく僅かにだけどちょっと出てた。
これからももっと嫁を見つめるぞ。キモいけど、嫁の表情に誰より気付く夫であるんだ。
嫁が喋った日なくなってたリモコンは、嫁がかばんの中に隠してた。
今でも、嫁はたまにリモコン隠す。
そんな時は二人で見つめ合って、ゆっくり過ごすんだ。
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カテゴリ:泣ける 12月 26th, 2009 admin 評価:

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98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 20:11:49
今日は特別な日でも何でも無いんだけど・・・
気持ち伝えて来るかな。。。
すげえ緊張してきた。。。
104 :98:2009/07/01(水) 21:31:26
ヌルヌル?w
言ってきた。
俺35歳
嫁35歳
嫁上に上がって来た。
俺「お疲れ様」肩もみ
嫁「うむ、ご苦労w」
俺「あのさ、その・・・俺、一生懸命がんばるよ」
俺さ、鬱病らしいのよ、勤務先が潰れて就職活動が上手く行かなくて・・・
嫁が一生懸命支えてくれたんだけど、明らかにおかしくなって病院連れてかれたら
そう診断された。。。嫁にすごい迷惑かけてんの、情けね~
嫁「おう、期待してんぞ」
俺「愛してるお前の為に本当にがんばる」
嫁「本当だぞぉw」
ちょっと頬を膨らませる。かわいい、この笑顔に惚れたんだw
俺「ああ、約束する、まだ全然、お前を幸せにしてないから」
嫁「幸せよ?w、でも二人でがんばろうw、もっと幸せにしてねw」
俺「うんw」
期待するほどのドラマも無いけど、こんな感じ。
俺、情けねえし恥ずかしいけどこのスレのおかげで嫁に
素直に感謝の気持ちを伝えることができた。
病気なんぞにもう負けない、みんなありがとう。
106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 21:44:34
これはこれでいい
GJ!
108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 22:17:44
>>104
よーし よくやった!
109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 22:31:03
>>104
いいぞ、いいぞ。
次は同じようなシチュエーションで「愛してる」と言うんだぞ。
110 :98:2009/07/01(水) 22:52:05
>>106>>108>>109
ありがとうw
嫁がなかなか風呂から出てこないから、覗いて見たら泣いてたよ。
「うれしかった」って。
愛してるも、俺が前向きになったのも。
俺さ、何回嫁を陰で泣かしてきたんだろう。
二人でちょっと泣いた。
本当に嫁と結婚して良かった、こんな事でもう負けてられない。
みんな本当にありがとう。
ではROMに戻ります。
既男のみんなに幸あれ。
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カテゴリ:泣ける 12月 21st, 2009 admin 評価:

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329 名前: 彼氏いない歴774年 投稿日: 2009/12/03(木) 01:23:23
私はお母さんのお腹にいる時誤診なのか男の子だと診断されてた
父親は長男、お姉さんいるけど「跡継ぎなら」と思ったらしい
私が産まれてすぐ、みんな「なんだ女かよ」と父親も祖母も親戚も白けて帰ったらしい
そんな中、おじいちゃんだけが新生児室にずっと張りついていて
お母さんに労いの言葉を涙ながらにかけてくれたらしい
おじいちゃんは私に凄く素敵な名前をくれた
同じ漢字の名前の人はあまり見た事ない
おじいちゃんは小さな頃、両親が他界し
小学校もまともに出てないと苦笑しながら話してくれた
だけど、人の悪口は何もならないとか人の悪いとこ見つけるより
人の良いとこを見つけた方がお互いに幸せだとか、笑顔の大切さ
人間として大切な事は全部おじいちゃんから学んだ
おじいちゃんはいつもニコニコしていて、私の為に電車の車掌を独断で辞め
少しでも私と時間を過ごしたいと個人タクシーの運転手さんになった
保育園はおじいちゃんのタクシーで送り迎え
ご飯はおじいちゃんの膝にいつも乗ってた
自分はあまり食べず、雛鳥みたいに私にご飯を食べさせてくれた
ご飯より私の幸せそうな顔が何よりのご馳走だと
私が家出した時も、ただずっと向かい合ってニコニコしてた
罪悪感に耐え切れず私が謝ると抱き締めて頭を撫でながら
「お利口さんだから何も言わなくても(私)はわかってると思った。
よしよし…疲れてたんやな。おじいちゃんはいつでも(私)が世界一大事や」
と、言ってくれた
私は辛い事が沢山あった
でもおじいちゃんの孫として産まれた事で一生分の幸せを使ったとしても後悔はない
私が何かあるとすぐに車を飛ばして迎えに来てくれた
そしていつもおじいちゃんの家にお泊まりした
おじいちゃんは寝相の悪い私をほとんど眠らず包み込むように抱っこしてくれた
私が寝相悪いとずっと「大丈夫大丈夫」と一晩中背中をさすってくれた
私の理想の男性はおじいちゃん
私が世界一愛してるのはおじいちゃん
尊敬出来るのもおじいちゃん
辛い事は沢山あった
でも私はおじいちゃんの自慢の孫として誇りを持ってる
おじいちゃんと一緒に入れたのは、たった10年
本当に幸せだった
おじいちゃん本当にありがとう
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カテゴリ:泣ける 12月 16th, 2009 admin 評価:

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87 名前: 名無しの心子知らず 投稿日: 2009/12/02(水) 08:49:11
ことしこどもがうまれた。
まつげのながい、かわいいおんなのこ。
だんなやだんなのしんせき、ぎりのりょうしんたち、
おじいちゃん。みんなとってもよろこんだ。
はつまご&はつひまごふぃーばーであいどるじょうたいのわがこだけど、
ひとたびいえにかえればあいどるでもなんでもない、ふつうのあかちゃん。
だけど、とってもかわいい。
わたしはにさいのころにおやがりこんした。
ははおやはしんけんをとったものの、そだてられるわけもなく
じぶんのりょうしんにわたしをまるなげ。
それからようちえんにはいるまで、ははおやはあらわれなかった。
そふぼはやさしくきびしくそだててくれ、なんとかいまのわたしがある。
しばらくしてははおやにひきとられ、ぎゃくたいのまいにち。
からだもこころもきずだらけ。
にげるようにとおいだいがくへいき、しゅうしょくし、いまのだんなとであった。
けっこんするきなんてさらさらなかったし、あいてにもそれをりょうしょうずみだった。
あるひ、せいりがこなくてびょういんにいったらにかげつ。
ひにんはきっちりしていたのに、とおもいつつだんなにはなしたら、わざとひにんさなかったらしい。
それからわたしのははおや、いままでのこと、ぜんぶはなして「けっこんはむり」とつげた。
それでもだんなはゆずらなかった。
うちのははおやのどくおやぐあいをじっさいにたいけんさせたが、だんなのいしはかたい。
だんなのりょうしんにも はくとこはいて、とうぜんはんたいされるとおもったのに、
ぎゃくにようじょにされた。
うよきょくせつあり、こどもがうまれ、
たまにははおやとおなじことをしてしまうんじゃ、とおもうことがある。
だけど、かこをおもいたすたび「あんなこと、わがこにできるわけがない」ともおもう。
いずれからだにのこるきずあとをきかれるだろうけど、うまくごまかそうとおもっている。
きょうもうちのこは おばあちゃんにあそんでもらって、きゃっきゃっとよろこんでいる。
わたしのおかあさんはいま、このひとだ。
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カテゴリ:泣ける 11月 18th, 2009 admin 評価:

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902 :ほんわか名無しさん :2007/01/21(日) 01:13:15
かなりの長文で読みにくいと思うがすまん。
俺が消防の時、学校から帰ると二軒隣にあるばあちゃん(父方)とこに毎日のように遊びに行ってた。
連れと一緒にわらわら行くとばあちゃんはニコニコしながら「おやつあるから手ぇ洗ってきんさい。皆で仲良く食べるんよ」っておやつをふるまってくれ
たんだよね。
連れからは優しいばあちゃんだと羨ましがられてすげー嬉しくて誇らしかったのを覚えてる。
けど、例に漏れず反抗期に入った俺は高校にも行かず、毎日のように連れと深夜まで遊び歩くようになっていった。
当然ながら親父とは顔を合わせれば怒鳴りあいのケンカ、時には手が出ることもあったな。
その度にケンカの声を聞きつけたばあちゃんが家にきては泣きそうな顔で「○○ちゃん、ケンカはあかんよ」って言うんだよ。
俺は「うっさいわ!」なんて怒鳴り付けてた。
ばあちゃんがぼろぼろ涙を流しながら家を出ていこうとする俺の後ろで「○○を堪忍したって」と親父に言って頭を下げていた。
俺はそんなばあちゃんの背中を見ても疎ましいとしか思わなくて、徐々に連れの家を泊まり歩くようになってた。
家に寄りつくこともなくなった。
悪い先輩から教えてもらった悪さして毎日遊び歩く日々。
あの時の俺はホントにクズの極みだったね。
そんな生活を18になるまで続けてたけど、その頃から悪仲間だった連れ達が口々に就職するって言い出したんだ。
「もう好き勝手出来る年じゃねぇからな」なんて言ってさ。
その日泊まってた連れの家を出て、俺は公園で一人ボーッとしてた。
金も食うものも寝るとこもない。
かと言って今さら家に帰ることもできない。
途方にくれてた俺は、ふとばあちゃんのことを思い出したんだ。
ばあちゃんなら怒らないだろうって。
情けないことに飯とその日の宿、あわよくば小遣いを貰えることを期待して。
そっからチャリ飛ばしてあっという間にばあちゃん家の前。
玄関に手をかけると鍵がかかってたから裏口へまわった。
裏口の鍵はいつも開けっぱなしだったから。
ドアを開けて中を見回して、俺は初めて違和感があることに気が付いた。
整然と片付いた室内。
まるで、長い間留守にしている部屋のような。
ばあちゃん、と呼んでも返事はない。
俺は急に言い様のない不安に襲われて実家へと走った。
少し前まで「帰れねぇよ」とか思ってたことなんて吹っ飛んでた。
親父はいきなり部屋に飛び込んできた俺を見て驚いてたよ。
当然だよな。
母さんは怒りながら泣き出すし、兄貴にはバカ野郎、と思い切り殴られた。
俺は殴られて口から血を流しながらばあちゃんは、って兄貴に聞いた。
そしたら親父が眉間にシワ寄せてさ、言うのよ。
「そこにいるだろう」って。
親父が指差した先には、四角く黒い写真立ての中で昔のように優しい笑みを浮かべてるばあちゃんがいてさ。
遺影だった。
俺は呆然としたね。
嘘だろって。
まさかって。
だって俺はばあちゃんに小遣いをねだりに帰ってきたのに。
ばあちゃんが死んでるかもなんて、そんなの頭を掠めもしなかったのに。
「ばあちゃん、一週間前に死んだんだ。お前のことを最期まで気にしてた」
親父が言った。
俺が家を飛び出してから、毎日毎日俺が帰ってきたかと実家にきてたって。
一週間前、俺の家からの帰り道、心筋梗塞を起こしてそのまま帰らぬ人となったって。
なんかね、もうホント、頭の中が真っ白で声なんか出なかった。
そしたら親父が「もういいだろう。帰ってきなさい」なんて言い出すの。
父さんが悪かった、って。
そんでばあちゃんの遺影の裏から茶封筒を三つだしてきて俺に差し出すんだ。
俺は黙って受け取って、中身を見て、家を出てからの一年半を激しく後悔したよ。
封筒の中身はばあちゃんから俺に宛てた三通の手紙。
18才、20才、結婚した時の俺に宛てたもの。
「○○ちゃん、18才ですね。
今はおうちに帰っていますか。
ばあちゃんは○○ちゃんの帰りをとても待っていました。
おやつを用意していますからまたばあちゃんの家に遊びにきなさいね。」
「○○ちゃん、20才おめでとう。
もう立派な大人ですね。
お仕事が大変でしょうが体を壊さないよう頑張ってくださいね。
ばあちゃんも頑張ります。」
「○○へ。
○○がお嫁さんを見つけてくれてとても嬉しいです。
もしかしたらばあちゃんはもう生きていないかもしれませんが、ちゃんと○○とお嫁さんを見にきます。
○○は優しい、いい子ですからお嫁さんもいい人だと思います。
幸せになってくださいね。」
俺は馬鹿みたいに泣きまくった。
手紙を強く握りしめながら激しく泣きじゃくった。
もう二度と会えないばあちゃん。
ばあちゃんはいつだって俺の味方だった。
そんなばあちゃんに酷い言葉を浴びせて、自分一人でここまででかくなったような勘違いして思い上がっててさ。
そのばあちゃんの優しさと愛情を無下にし続けた自分の愚かさに今さら気付いたんだ。
同時に親父、お袋、兄貴にも申し訳なくて申し訳なくて、俺は何度も何度も土下座して謝った。
それから俺は先輩達とは縁を切り、小さな企業に何とか就職した。
ばあちゃんの知り合いが社長さんで、常々「孫を頼む」と頼まれていたと。
そこで今の嫁さんと出会って結婚、再来月には子供も産まれる。
せめてばあちゃんに嫁さんの顔を見せてやりたかったとつくづく思うよ。
お前らも家族やじいちゃん、ばあちゃんには出来る内に孝行してやってくれ。
俺もこれからは自分の家族と新しい家族を大切にしてばあちゃんにしっかり顔向けできるよう生きてくからさ。
長文スマン。
すっきりした…。
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